我が人生の使命として
ホルミシスを人類のために
普及させる。
当社の創業者であり現在、取締役会長の濱須光由の歩んできた道を現在、代表取締役の伊藤伸也が
書いております。
当社の軌跡のご紹介でもありますので、ご一読いただけると幸いです。
1936年、福島県原町(現在の南相馬市)に代々続く庄屋(地主)の次男として誕生。
東京に上京後、食品業界の営業職として働き独自の営業感覚で、売上を急拡大させました。
その後、紳士服の営業に転進し、ここでも独自の営業感覚で、売り上げを伸ばし、トップセールスとなりました。
しかし、雇われる身より、雇う側の方が良いと考え、独立し、様々な商品を独自の営業センスによりヒットさせて売り上げを拡大し、やる事為す事が、成功の連続で、資金力を増やしていきました。
そんな時に、仕事で出会ったのが、アメリカ製のジュークボックスである。持ち前の興味の虫が騒いで、ジュークボックスの裏側を見せてもらったり、どこで製造しているかを聞いたりして、研究して、オーケストラの演奏のみを録音して、マイクで歌えるように、改造した物が、カラオケの前身となる機械です。
現在でも、カラオケ年鑑の1ページ目には、当社創業者の名前や会社名が記されております。
当時の卸先・取引先が、現在でも第一興商として東証1部に上場されています。
創業者(濱須光由)が次に興味を抱いたのが、現在につながる健康サンダル(イボイボの突起がソールに付いた物)です。
当時、西ドイツで発明された健康サンダルの世界特許を、西ドイツまで、文字通り、飛んで行き、買い取って来ます。
日本国内で製造販売を開始し、あっという間に80万足を販売しましたが、トラブルに巻き込まれて頓挫。
次は、病気の原因の8割は、背骨の歪みという事で、寝ている間に、腰痛、頭痛、肩こり、不眠症、常習便秘を改善する寝具を開発。
17ヶ国の特許を取得して、全国の農協、経済連や地方の交通会社の代理店、販売網を構築し、大ヒットさせて、300億円売上げ規模の会社にし、更には1,000億企業を目指していた矢先に、またもやトラブル発生。
事業は製造担当していた上場企業に引き継ぎ、改めて一歩から歩むこととなりました。
そして今から26年前、(株)新エネルギー研究所を立ち上げました。
当時、子供のアトピーが多く、社会問題にもなっており、当社の考えでは、子供が食べる野菜、米等、食物のエネルギーが低く、栄養成分も少なくなっている事が原因と分析。
エネルギーの高い土壌で、エネルギーの高い食物を作り、子供達に食べさせる事ができれば、アトピーを解消できるだろうということで、農業に参入してゆく事になりました。
エネルギーの高い食物という事を数値で証明するのは困難をきわめました。
栄養成分が多く含まれる程度ならば数値で表せますが、その当時は測定機器が存在しない為、その開発から始めなくてはなりませんでした。
完成した測定機は、一定の評価を得られましたが、測定する人間によって数値が異なる為に、現象の証明において困難をきわめました。
この様な証明に困難な微細なエネルギーを研究する会社として社名が新エネルギー研究所となった訳です。
そんな中、大きなエネルギーとして原子力発電がありますが、当時、親交が深くなっていた服部禎男博士が小型原子炉を発明し放射線の持つもう一つの活用としてホルミシスという現象があり、このホルミシスならば数値による証明も可能であると同時に、もしかしたら人類を救うことの出来るエネルギー活用法になり得ると紹介された事がきっかけとなり1999年4月に京王プラザで開催された国際シンポジウムに参加しました。
放射線ホルミシスの奇跡を世界中から集まった学者及び14の国立大学から参加した学者や医者が説明し始めると、「本当か?今までの常識が覆されるぞ!」という思いと同時に、こんな凄い話は、慎重に取り掛からなければという姿勢で、4年半を裏付け調査をしました。
調べれば調べるほど、ホルミシスが真実であり、人類に残された最後の宝物(たからもの)であると確信に至り、2003年の国際シンポジウムには主催者側として参加する事になりました。その後18年間、紆余曲折を経ながら現在に至るわけです。
途中、創業者自身が末期の前立腺がん、膀胱がんを罹患して余命1年と宣告されます。
普通ならば、手術して抗がん剤を投与した後で強い放射線治療をする訳で、医者にも強く勧められましたが、命懸けの選択をします。
前述した治療を一切拒否して、放射線ホルミシス療法を自ら実践することを決意しました。
素焼きのラジウムタイルを開発して、ヤマハやカワイ楽器の防音ルームを購入して内側にタイルを大量に貼り付け、ホルミシスルームを作製し、その中で毎日6時間過ごすことを実践しました。真面目に取り組んでからは、腫瘍マーカーであるPSA値が284が1か月後には、4.14。更に1ケ月後に0.716。更に1か月後に0.461。更に1か月後に0.270と下がり続けて、がん発症から14年経った今でも元気に生きております。
命懸けの戦いに勝利したのです。
「自らの健康は自ら守る」を実践した訳ですが、出来るだけ多くの方に教えてあげたいという使命感の元、ホルミシスを体験できる「巣鴨ホルミス健康館」を13年前に開設しており、日々自らの体験を伝えている訳です。
論より証拠といいますが、一度体験されると、創業者の言葉が嘘でないと分かっていただけるものと信じております。
代表取締役